1999年1人の男がメキシコに旅だった、その初老の、いや老境にさしかかっていると言っても良いかも知れないその男・・・
と、ちょとキザっぽく始めて見ました。彼は、最近長く勤めた高校美術教師を定年退職し、第二の人生に選んだのがヒッポの計トラだったのです。
彼は彼の愛するメキシコにヒッポを広めたい、そしてメキシコの風景をキャンバスに収めたい、そう願い計トラへの参加を決意したのです。しかしながら現実問題も多く当初家族で行くつもりが結局単身での渡墨となりました。
さて、最初のウチは現地コーディネーターの家にステイしていましたが、何時までも…と言う事で一人暮らしを始めたのですが。
彼は多くのニッポンのお父さんと同じく、炊事洗濯一切ダメ!と言う人でしたので、果たして一人で生き抜けるのか?誰もが心配しました。奥様も遠く海を隔てた日本でただ気に病むばかりです。
それでも、持ち前のヒッポ魂?と周囲の助けを得て、なんとか一人立ちしていける様になりました(^^)
「一人で(自分自身の力で)街を歩けるのが、こんな凄い事だとは思わなかった」しみじみ語ったとの事です。
その後は順風満帆・・・でもないようですが(^^;;;まあ、それなりに・・・のようです。
計トラの理念には賛同するが、イザやって見ようと思うと、現実問題が山積して・・・そのハードルを一つ一つ飛び越して自分の夢を叶えて行き続ける彼に心からの声援を送ると共に今後のメヒコでの御活躍を願いたいと思います。
1998年の夏も活発な国際交流が行われ、当然メキシコとも多くの人たちが行き来しました。
その中から、2年ぶりに彼の地に出掛けた、ある女性の話を紹介します。
かつてホ−ムステイした御家庭を訪ねた彼女はホストファミリ−やあちらの友人たちと感動の再会、そして
再びその家にお世話になると言うことで、楽しく過ごせたのですが。
ところが、何故かホスト=ママとはうまく行かないのです。「ケンカしたわけでもないし」でも何故か・・・なのです。当然彼女も悩み続けました。最後には再び打ち解けて以前の様につきあえる様になったのですが・・・
「でも何故だろう???」日本に帰って来て普通のOL生活に戻った時、ふと気づいたのです。
2年前の彼女は、スペイン語をほとんど知らないので、赤ちゃんも同然の状態でした(特にホスト=ママにとって)でも今回はスペイン語も上手くなり、大人としてメキシコの友人たちの前に現れたのです。
2年前、本当の娘の様に接してくれたママにすれば、子供が全く別の人格になってしまったも同然でした。
その意識の微妙なズレにお互い気付かないまま過ごしていたのです。
よちよち歩きの赤ちゃんから、自我に目覚め反抗期があり・・・まるで自分自身の成長過程を追体験しその中でメキシコのママや友人をそして何よりも自身の本当の両親兄弟を改めて大切なものと思うようになったと彼女は述回しています
つたない要約ですが、人と人が解り合って行くことの楽しさと難しさ、改めて感じた出来事と思いここに掲載しました。次の主人公は誰かな??? v(^_~)
以下の写真はメキシコでの活動立ち上げ、いわゆるメキシコ=プロジェクト(98/2)の一コマです。
メキシコ側のコ−ディ−ネ−タ−により撮影され、鈴木堅史氏から転送並びに提供されています。(この場を借りて、改めて感謝いたします。)
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これはプレゼンテ−ションのあとの交歓会の風景です。
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メンバ−の方には、おなじみのメヒコ=フリ−クの顔ぶれが揃ってますね。
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